実家は、首都タリンから車で約2時間。周囲は森と畑が広がり、農家が点在する。夜は0度近くに冷え込み、道端には除雪された雪が積まれていた。
屋内には、把瑠都が子どもの時から地元の柔道大会で優勝したトロフィーなどがずらり。その前でティーナさんは「日本に渡った当初は食事に慣れず、『ライ麦パンなどがとても恋しい』と電話口で嘆いていた。勝手に外出できないなど、相撲界の習慣も窮屈だったようだ」と、息子の苦労を思いやった。
夫と死別し、女手一つで子ども3人を育てた。把瑠都は次男で、「先生から呼び出しを受けることもなく、手のかからない子だった」といい、「ためたお金で大きなトラクターを買って、故郷の畑を耕したい」と夢を語っているそうだ。
息子の活躍はインターネットで見ている。取り出した新聞には「日本の相撲専門家が、把瑠都の明るい将来を予測」などの見出しが躍っていた。ティーナさんによると「エストニアでの相撲の人気は今ひとつ」だが、大関昇進が確実になった頃から、地元主要紙も連日のように、活躍を報じているという。